【山本八幡宮】(やまもとはちまんぐう) 八尾市
【山本八幡宮】(やまもとはちまんぐう) 八尾市
近鉄河内山本駅のすぐ北側、玉串川の西岸、立石街道の南沿いに鎮座しています。
「誉田別尊」(応神天皇)を祀ります。 享保元年(1716年)、石清水八幡宮より神霊を勧請し、山本新田の鎮守として分祀されました。 1956年に社殿が改築され、現在に至ります。本殿は社殿の中に収まっています。 1994年から1997年にかけて社殿を除くすべての施設に大幅な改修が行われました。 社務所・集会所・神楽殿は撤去され、境内北西角に鉄筋4階建てのビルが建てられました。 また、敷地東側・玉串川の間に歩道が整備され、正面にあった太鼓橋は撤去されました。
所在地: 大阪府八尾市山本町一丁目2-16
アクセス:近鉄大阪線 河内山本駅下車北へすぐ(駅北側出口の前)
【姥が池】(うばがいけ)東大阪市東豊浦町
【姥が池】(うばがいけ)東大阪市東豊浦町
この池は昔から『姥が池』と呼ばれていました。それは、今をさかのぼること約600年前の出来事「悲しい姥の身投げ伝説」に由来しています。
その伝説とは、枚岡神社の御神燈の油が毎夜なくなり、火が次から次へと消えていました。
妖怪変化の仕業と不気味がられていましたが、その正体を突き止めると、生活に困っていた老婆がこの油を盗んでは売っていたのでした。その訳を知り、気の毒にと思って老婆を釈放してやりました。
しかし、人の噂が広まっていたたまれなくなり、老婆は池に身を投げてしまいました。
村人は明神の罰が当たったとして誰も同情しませんでした。
その後、雨の晩になると村の付近に青白い炎が現れ、村人を悩ましたと伝えられています。この物語は、井原西鶴の短編話など多くの俳諧・戯曲に『姥が池の姥が火』として登場しています。
また、「和漢三才図会」「河内名所鑑」などにも記載されています。
場所:大阪府東大阪市東豊浦町 2-17
アクセス:近鉄枚岡駅下車、徒歩約6分。枚岡神社の参道から紫陽花園に向かって、登山道を登り始めてすぐ右側。「姥が池」の標石と案内板があります。
(撮影:2017/3/16)
【聖法山 観音寺】(かんのんじ)東大阪市東豊浦町
【聖法山 観音寺】は、生駒山中腹の大阪府東大阪市から奈良県生駒市を通る国道308号線沿いにあり、この道の県境にある峠を「暗峠(くらがりとうげ)」、そしてこの道を「暗越奈良街道(くらがりごえならかいどう)」といい、数ある奈良街道の一つで「日本の道百選」にも選定されています。またこの道は、松尾芭蕉が1694年(元禄7年)に大坂へ向かう途中に通り、「菊の香に くらがり登る 節句哉」という句を詠んでいます。当寺の境内には豊浦川が流れ、平行して旧奈良街道があります。
江戸期の俳人・文人や中村代官、さらには諸大名が休憩した茶屋跡があり、その茶屋跡の傍らに「木魚石(もくげいし)」があります。昔、子供にお乳を飲ませる頃になると、この石から木魚の鳴る音がしたことから、その呼び名がつけられたといわれています。この木魚石と、街道下にある蜘蛛石、長持石の三つの石を合わせて「枚岡三石」と言われています。
住所:大阪府東大阪市東豊浦町1219
アクセス:近鉄奈良線枚岡駅下車 徒歩20分
(撮影:2017/3/16)
【暗越奈良街道】(くらがりごえならかいどう)2 /2
【暗越奈良街道】(くらがりごえならかいどう)は大坂から暗峠を超えて奈良に至る街道で奈良街道、伊勢参宮街道の一つで「日本の道百選」にも選定されている。
暗峠(くらがりとうげ)は、奈良県生駒市西畑町と大阪府東大阪市東豊浦町との境にある峠で現在は国道308号、大阪府道・奈良県道が通り標高は455m。
暗峠(くらがりとうげ)という名が示すとおり暗越奈良街道の生駒山地の難所でつづら折りの少ない直線的な急勾配が続きハイキングコースとしても有名。
この付近の路面は江戸時代に郡山藩により敷設された石畳で国道とはいえ自動車で通行するのは困難なほど道幅は狭い。「暗がり」の名称の起源は樹木が鬱蒼と覆い繁り昼間も暗い山越えの道であったことに由来しているそうだが「鞍借り」、「鞍換へ」「椋ケ嶺峠」などが訛って「暗がり」となったとする異説もあり井原西鶴の『世間胸算用』にはこの峠の近くで追い剥ぎが出たという記述がある。
1694、松尾芭蕉が大坂へ向かう途中この峠を通り「菊の香に くらがり登る 節句哉」という重陽の節句にちなんだ句が詠まれたとされ今西祐行作の絵本「とうげのおおかみ」の舞台にもなっている。
(撮影:2017/3/16)