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kazu1000のブログ / 社寺仏閣巡り 社寺仏閣巡りが好きです。特に神社が好きで関西を中心に廻っています。Instagram:https://www.instagram.com/kazuyoshi1000

【榎木大明神】( えのきだいみょうじん)東大阪市

【榎木大明神】( えのきだいみょうじん)東大阪市

 

東大阪市岸田堂に枯木になっていますが巨大なクスノキがあるところに【榎木大明神】( えのきだいみょうじん)があります。隣は「岸田堂自治会館老人いこいの家」です。
この神社の由緒等は不明です。この大明神の鳥居の横に「長楽寺跡」の解説板があり、次のように書かれています。

 

推古天皇(593~628)の創建と伝えられ、江戸時代の長楽寺の敷地は、東西約60m、南北約36m、多くの建物とともに建治3年(1227)の梵鐘がある有名なお寺でした。
 一名「岸田寺」と呼ばれていました。このあたりは、古代には、長瀬川や平野川の氾濫原が広がっていたと思われます。そこで「岸」あるいは「岸田」は地形から付いた名前で、「堂」は長楽寺のことだといわれています。
 本尊の十一面観音は、疱瘡(天然痘)を治す仏さまとして信仰を集めていました。井原西鶴の『本朝若風俗』に「河内の国岸の堂という観音の場に煎豆を埋みて(天然痘の治るのを)祈る事あり」をはじめとして多くの書物に、天然痘やはしかを治す仏として紹介されています。東成区大今里の暗越奈良街道にある文化3年(1806)の道標に「右きしのだうハンぜおん」と刻まれています。
 しかし、この有名な寺も、明治になると疱瘡よけの信仰も薄れ、檀家も少なかったため維持が困難となり、明治25年(1892)廃寺となり、建物や仏像などすべて神戸市中山寺通7丁目へ移されましたが、太平洋戦争によって消失してしまいました。
 このあと、寺は再興され、関帝廟として在中国人の信仰を集め賑わっています。境内に長楽寺と刻んで手水鉢がただ一つ遺品として置かれています。』

 

住所:大阪府東大阪市岸田堂北町8
アクセス:「JR長瀬駅」から約1.0km。又は、近鉄俊徳道駅」・「JR俊徳道駅」から約1.0km。

 

枯木になってる巨大なクスノキ

 


【榎木大明神】( えのきだいみょうじん)東大阪市

【福繁大神】(ふくしげだいじん)大阪市城東区

【福繁大神】(ふくしげだいじん)大阪市城東区

 

 

大阪市城東区東中浜の駐車場の横に福繁大神】(ふくしげだいじん)はひっそりと鎮座しています。赤い鳥居と緑の葉とのコントラストが綺麗です。由緒等、詳細は不明です。

 

住所:大阪府大阪市城東区東中浜3丁目21−31

 


【福繁大神】(ふくしげだいじん)大阪市城東区

 

 

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【難波八阪神社】(なんばやさかじんじゃ) 大阪市浪速区

【難波八阪神社】(なんばやさかじんじゃ) 大阪市浪速区

 

祭神は素盞嗚尊、 奇稲田姫命、八柱御子命など。 獅子舞台という大きな獅子の頭の形をした舞台があることで有名です。 
東の鳥居から大きな口を開いて吠えている獅子頭が見えます。

 

 

 

所在地 :大阪府大阪市浪速区元町2-9-19
アクセス: 大阪市営地下鉄 御堂筋線四つ橋線 難波駅より約6分 。
大阪市営地下鉄 御堂筋線四つ橋線 大国町駅より約7分 南海難波駅より約6分。

 

 

【祖霊社】(それいしゃ)「星合の池」

【祖霊社】(それいしゃ)は天阪天満宮の境外末社であり、「星合の池」があります。
天暦3年(949)に天満宮が御鎮座になった時 この池水に霊光が映ったと伝承されています。天正2年(1574)の石山軍記に「天満山の北 明星の池 星合の池の間 少し北に属し 織田信長本陣を布き」と録しているから千年以上の歴史を持つ古池です。付近に七夕池・明星池・夫婦池等が明治年間まで現存していた事は 昔「難波碕」の付近に残った沼沢の名残であると思われます。昭和の初めまで池には「宇賀の社」があり、紅梅紫藤が咲きみだれ付近には歌舞伎を常打としていました。天満八千代座浪花節の国光席 吉本興業発祥となった天満花月吉川館などの寄席が隣接していた歓楽街でした。池に架かっている「星合橋」は一名「愛矯橋」とも言われています。

 

大阪府大阪市北区天神橋2丁目5 

 

 

 

【大阪天満宮】(おおさかてんまんぐう)大阪市 ④

大阪天満宮】(おおさかてんまんぐう)は、大阪府大阪市北区に鎮座する神社(天満宮)。別名に天満天神・浪華菅廟・中島天満宮がある。大阪市民からは「天満(てんま)の天神さん」と呼ばれ親しまれている。
毎年7月24日から25日にかけて行われる天神祭は日本三大祭、大阪三大夏祭りの一つとして知られている。

 

901年に菅原道真が、藤原時平により九州大宰府へ配転(左遷)させられた際、同地にあった大将軍社に参詣した。903年に菅原道真が没した後、天神信仰が始まる。949年に大将軍社の前に7本の松が生え、霊光を放ったという奇譚が都に伝わった。そのため村上天皇の勅命によって天満宮を建立させたのが始まりである。

 

所在地 :大阪府大阪市北区天神橋二丁目1番8号

 

 

【大阪天満宮】(おおさかてんまんぐう)大阪市 ③

大阪天満宮】(おおさかてんまんぐう)は、大阪府大阪市北区に鎮座する神社(天満宮)。別名に天満天神・浪華菅廟・中島天満宮がある。大阪市民からは「天満(てんま)の天神さん」と呼ばれ親しまれている。
毎年7月24日から25日にかけて行われる天神祭は日本三大祭、大阪三大夏祭りの一つとして知られている。

 

901年に菅原道真が、藤原時平により九州大宰府へ配転(左遷)させられた際、同地にあった大将軍社に参詣した。903年に菅原道真が没した後、天神信仰が始まる。949年に大将軍社の前に7本の松が生え、霊光を放ったという奇譚が都に伝わった。そのため村上天皇の勅命によって天満宮を建立させたのが始まりである。

 

所在地 :大阪府大阪市北区天神橋二丁目1番8号

 

 

【大阪天満宮】(おおさかてんまんぐう)大阪市 ②

大阪天満宮】(おおさかてんまんぐう)は、大阪府大阪市北区に鎮座する神社(天満宮)。別名に天満天神・浪華菅廟・中島天満宮がある。大阪市民からは「天満(てんま)の天神さん」と呼ばれ親しまれている。
毎年7月24日から25日にかけて行われる天神祭は日本三大祭、大阪三大夏祭りの一つとして知られている。

 

901年に菅原道真が、藤原時平により九州大宰府へ配転(左遷)させられた際、同地にあった大将軍社に参詣した。903年に菅原道真が没した後、天神信仰が始まる。949年に大将軍社の前に7本の松が生え、霊光を放ったという奇譚が都に伝わった。そのため村上天皇の勅命によって天満宮を建立させたのが始まりである。

 

所在地 :大阪府大阪市北区天神橋二丁目1番8号