【大依羅神社】(おおよさみじんじゃ)②大阪市住吉区
式内社(名神大社)で、旧社格は府社。現在は神社本庁に属さない単立神社。
祭神は次の通りです。
主祭神;
・建豊波豆羅和気王(たけとよはずらわけのきみ) - 第9代開化天皇皇子。
・底筒之男命(そこつつのおのみこと) - 住吉三神の1柱。
・中筒之男命(なかつつのおのみこと) - 住吉三神の1柱。
・上筒之男命(うわつつのおのみこと) - 住吉三神の1柱。
配祀神・合祀神(括弧内の地名は合祀前の旧地);
大巳貴命、月読命、垂仁天皇、五十猛命、大山咋大神(庭井)、草津大歳大神(苅田)、建速須佐男大神(我孫子)、奴能太比売大神(杉本)、奇稲田媛大神(杉本)、八柱御子大神(杉本)、素戔嗚命(杉本)、素戔嗚命(山之内)
由緒・創建等は不明ですが、依網の地域神として祀られたことに始まり、古くは依羅氏によって奉斎されたと推測されます。
所在地 :大阪府大阪市住吉区庭井2丁目18-16
アクセス:大阪市営地下鉄御堂筋線 我孫子駅より徒歩約15分。
【大依羅神社】(おおよさみじんじゃ)①大阪市住吉区
式内社(名神大社)で、旧社格は府社。現在は神社本庁に属さない単立神社。
祭神は次の通りです。
主祭神;
・建豊波豆羅和気王(たけとよはずらわけのきみ) - 第9代開化天皇皇子。
・底筒之男命(そこつつのおのみこと) - 住吉三神の1柱。
・中筒之男命(なかつつのおのみこと) - 住吉三神の1柱。
・上筒之男命(うわつつのおのみこと) - 住吉三神の1柱。
配祀神・合祀神(括弧内の地名は合祀前の旧地);
大巳貴命、月読命、垂仁天皇、五十猛命、大山咋大神(庭井)、草津大歳大神(苅田)、建速須佐男大神(我孫子)、奴能太比売大神(杉本)、奇稲田媛大神(杉本)、八柱御子大神(杉本)、素戔嗚命(杉本)、素戔嗚命(山之内)
由緒・創建等は不明ですが、依網の地域神として祀られたことに始まり、古くは依羅氏によって奉斎されたと推測されます。
【榎木大明神】( えのきだいみょうじん)東大阪市
【榎木大明神】( えのきだいみょうじん)東大阪市
東大阪市岸田堂に枯木になっていますが巨大なクスノキがあるところに【榎木大明神】( えのきだいみょうじん)があります。隣は「岸田堂自治会館老人いこいの家」です。
この神社の由緒等は不明です。この大明神の鳥居の横に「長楽寺跡」の解説板があり、次のように書かれています。
『推古天皇(593~628)の創建と伝えられ、江戸時代の長楽寺の敷地は、東西約60m、南北約36m、多くの建物とともに建治3年(1227)の梵鐘がある有名なお寺でした。
一名「岸田寺」と呼ばれていました。このあたりは、古代には、長瀬川や平野川の氾濫原が広がっていたと思われます。そこで「岸」あるいは「岸田」は地形から付いた名前で、「堂」は長楽寺のことだといわれています。
本尊の十一面観音は、疱瘡(天然痘)を治す仏さまとして信仰を集めていました。井原西鶴の『本朝若風俗』に「河内の国岸の堂という観音の場に煎豆を埋みて(天然痘の治るのを)祈る事あり」をはじめとして多くの書物に、天然痘やはしかを治す仏として紹介されています。東成区大今里の暗越奈良街道にある文化3年(1806)の道標に「右きしのだうハンぜおん」と刻まれています。
しかし、この有名な寺も、明治になると疱瘡よけの信仰も薄れ、檀家も少なかったため維持が困難となり、明治25年(1892)廃寺となり、建物や仏像などすべて神戸市中山寺通7丁目へ移されましたが、太平洋戦争によって消失してしまいました。
このあと、寺は再興され、関帝廟として在中国人の信仰を集め賑わっています。境内に長楽寺と刻んで手水鉢がただ一つ遺品として置かれています。』
住所:大阪府東大阪市岸田堂北町8
アクセス:「JR長瀬駅」から約1.0km。又は、近鉄「俊徳道駅」・「JR俊徳道駅」から約1.0km。
枯木になってる巨大なクスノキ
【福繁大神】(ふくしげだいじん)大阪市城東区
【祖霊社】(それいしゃ)「星合の池」
【祖霊社】(それいしゃ)は天阪天満宮の境外末社であり、「星合の池」があります。
天暦3年(949)に天満宮が御鎮座になった時 この池水に霊光が映ったと伝承されています。天正2年(1574)の石山軍記に「天満山の北 明星の池 星合の池の間 少し北に属し 織田信長本陣を布き」と録しているから千年以上の歴史を持つ古池です。付近に七夕池・明星池・夫婦池等が明治年間まで現存していた事は 昔「難波碕」の付近に残った沼沢の名残であると思われます。昭和の初めまで池には「宇賀の社」があり、紅梅紫藤が咲きみだれ付近には歌舞伎を常打としていました。天満八千代座浪花節の国光席 吉本興業発祥となった天満花月吉川館などの寄席が隣接していた歓楽街でした。池に架かっている「星合橋」は一名「愛矯橋」とも言われています。