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【榎木大明神】( えのきだいみょうじん)東大阪市

【榎木大明神】( えのきだいみょうじん)東大阪市

 

東大阪市岸田堂に枯木になっていますが巨大なクスノキがあるところに【榎木大明神】( えのきだいみょうじん)があります。隣は「岸田堂自治会館老人いこいの家」です。
この神社の由緒等は不明です。この大明神の鳥居の横に「長楽寺跡」の解説板があり、次のように書かれています。

 

推古天皇(593~628)の創建と伝えられ、江戸時代の長楽寺の敷地は、東西約60m、南北約36m、多くの建物とともに建治3年(1227)の梵鐘がある有名なお寺でした。
 一名「岸田寺」と呼ばれていました。このあたりは、古代には、長瀬川や平野川の氾濫原が広がっていたと思われます。そこで「岸」あるいは「岸田」は地形から付いた名前で、「堂」は長楽寺のことだといわれています。
 本尊の十一面観音は、疱瘡(天然痘)を治す仏さまとして信仰を集めていました。井原西鶴の『本朝若風俗』に「河内の国岸の堂という観音の場に煎豆を埋みて(天然痘の治るのを)祈る事あり」をはじめとして多くの書物に、天然痘やはしかを治す仏として紹介されています。東成区大今里の暗越奈良街道にある文化3年(1806)の道標に「右きしのだうハンぜおん」と刻まれています。
 しかし、この有名な寺も、明治になると疱瘡よけの信仰も薄れ、檀家も少なかったため維持が困難となり、明治25年(1892)廃寺となり、建物や仏像などすべて神戸市中山寺通7丁目へ移されましたが、太平洋戦争によって消失してしまいました。
 このあと、寺は再興され、関帝廟として在中国人の信仰を集め賑わっています。境内に長楽寺と刻んで手水鉢がただ一つ遺品として置かれています。』

 

住所:大阪府東大阪市岸田堂北町8
アクセス:「JR長瀬駅」から約1.0km。又は、近鉄俊徳道駅」・「JR俊徳道駅」から約1.0km。

 

枯木になってる巨大なクスノキ

 


【榎木大明神】( えのきだいみょうじん)東大阪市