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【旧大正飛行場の掩体壕(えんたいごう)】大阪府八尾市

【旧大正飛行場の掩体壕(えんたいごう)】大阪府八尾市

「飛行機を空襲から守るための格納庫」

 

国道170号線の垣内南交差点を東に折れ、八尾市立南高安中学校の横をさらに直進すると高安山のおふもとに出ますが、その一角に「掩体壕」(えんたいごう)があります。掩体壕(えんたいごう)は、飛行機を空襲から守るため、防弾、防爆性能を強化した格納庫のことで、大正飛行場(現在:八尾空港)には40数基が建設されていました。大正飛行場は、1940年に、民間機のパイロット養成機関であった阪神飛行学校を陸軍が接収するとともに、約260万平方メートルにおよぶ優良農地を低価格で強制的に買収して、急造された飛行場です。1300メートルの滑走路と黄砂して1710メートルの滑走路が設けられていますが、これは、当時日本で一番長い滑走路でした。1944年には、陸軍第11飛行支団司令部が置かれ、阪神・東海圏の防空のために、敵機を迎撃し、侵入を阻止する任務を担いました。
掩体壕(えんたいごう)は、1943年から格納庫に代わってつくられ始め、1944年にサイパン島が陥落してB29による本土爆撃が避けられなくなるり急増されました。掩体壕1基に飛行機1機を収納するのが原則で、土堤でかこむ無蓋型と屋根付きの有蓋型があり、有蓋型のものは、木・竹やコンクリートでアーチ掩蓋(えんがい)を組み立て、掩蓋の上には30センチメートルの厚みで土をのせ、壕を隠すために草木を植えました。最終的には、飛行場内にコンクリート製有蓋型19基、屋外に木製を含む大小20数基が設置されました。
高安山に沿って飛行場からの誘導路がつくられ、そのそばに掩体壕が点在していました。飛行場から3.5キロメートル離れた最も遠方の垣内地区には、鉄筋コンクリート造りの大型壕が2基ありました。その内の1基が今も残っていて、前方地上部のドーム部分は半壊していますが、側壁と基礎部分は原形が保たれ、後方は築造当時のままです。コンクリートはかなり良質のものが使用されてましたが、鉄筋は最小限度しか使用されなかったようです。そのため、戦後、朝鮮戦争に鉄筋を採取しようと解体業者がダイナマイトで破裂を試みましたが、良そう以外に鉄筋が少なく、採算がとれないので工事を中止した結果、現在まで残ることになったとのことです。

 

 

A reinforced concrete bunker still remains at Kaichi district of Yao city in Osaka, Japan. It was called "Entaigo" and built to avoid the attack of American airplane in 1943 during the war.
Entaigo is a defensive military fortification designed to protect people or valued materials like airplane from falling bombs or other attacks. They are mostly underground, compared to blockhouses which are mostly above ground. Entaigo were used extensively in World War II for weapons facilities, command and control centers, and storage facilities.