【太間天満宮】(たいまてんまんぐう)大阪府寝屋川市
祭神 は、菅原道眞、茨田連衿子。由緒 について、創建年代は不詳。 『仁徳紀』に、茨田の堤を築こうとしたが、壊れる場所が二箇所あった。天皇の夢に、武藏人強頚、河内人茨田連衫子の二人を河伯に奉ればきっと出来るだろうとあった。二人が探し出されて、強頚は泣き悲しんで水に入れられ、堤は完成した。一方、衫子(ころものこ)はヒサゴ二箇を河に投げ入れ、自分を生贄にほしいのならこのヒサゴを沈めて浮かばないようにせよ。出来なければ偽りの神だから生贄にはならないと宣言した。ヒサゴは流れ去った。衫子は死ななかったが堤は完成した。時の人は二箇所を名付けて強頚の断間(たえま)、衫子の断間(たえま)と呼んだ。
この故事により、衫子の断間である当地に昔から小社を建てて祀っていた。
近くの三井の若山に壮麗な天満宮が造営されたが、慶長三年(1598)に焼失、再建に当たって座争いが起こり、それぞれ分社を作った。太間村では衫子社に合祀した。
後に菅公の末裔の方がこの地の有力者となり、道真公を多いに祀ったので、衫子のことは忘れられてしまったので神霊を友呂岐神社から受けて祀った。友呂岐神社にも太間以外に衫子が祀られていたようだ。
享保五年(1720)三月八日、再建。
明治五年中、石津村村社若宮八幡宮に合祀された。
明治十五年、復旧。
明治四十三年、友呂岐神社に合祀。
昭和四十二年、独立。神社を再建した。この時、道真を主神、衫子を地主神とした。
住所:大阪府寝屋川市太間町10
アクセス:京阪香里園駅より西へ約1200m。
(撮影:2018/4/28)