kazu1000のブログ

kazu1000のブログ / 社寺仏閣巡り 社寺仏閣巡りが好きです。特に神社が好きで関西を中心に廻っています。Instagram:https://www.instagram.com/kazuyoshi1000

【杵築神社】(きつきじんじゃ)奈良市二名平野 (2/2)

【杵築神社】(きつきじんじゃ)奈良市二名平野

 

 

祭神は「素戔嗚命」「大国主命」「市杵島姫命」。 境内社に「春日神社」「大山祗神社」「神明宮」があります。
用明天皇二年(587)に、敏達天皇天皇の皇子春日王が祖神・牛頭天王を祀ったのが創建と伝わります。鎮座地は現在の奈良市内、二名平野(にみょうひらの)と呼ばれている地で、富雄川が北から南に流れる左岸に鎮座しています。社殿は西に面していて、富雄川に架かる杵築橋から東に向って真直ぐに参道が伸びています。
社殿に向かって右側へ上がったところに、コンクリート製の社があります。右腕が無くなった不動明王様と様観音様が祀られています。その横に小さなマリア像もあります。この社の右横に巳(みい)さんが祀られている社があります。また、本殿に向かって左側の細い山道を上がっていくと鳥居と小さなな社が見えてきます。ここも巳(みい)さんが祀られているようです。社の周りには3本の神木が立っています。

 

 

 

住所:奈良県奈良市二名平野二丁目

 

 

 

【杵築神社】(きつきじんじゃ)奈良市二名平野 (1/2)

【杵築神社】(きつきじんじゃ)奈良市二名平野

 

 

祭神は「素戔嗚命」「大国主命」「市杵島姫命」。 境内社に「春日神社」「大山祗神社」「神明宮」があります。
用明天皇二年(587)に、敏達天皇天皇の皇子春日王が祖神・牛頭天王を祀ったのが創建と伝わります。鎮座地は現在の奈良市内、二名平野(にみょうひらの)と呼ばれている地で、富雄川が北から南に流れる左岸に鎮座しています。社殿は西に面していて、富雄川に架かる杵築橋から東に向って真直ぐに参道が伸びています。
社殿に向かって右側へ上がったところに、コンクリート製の社があります。右腕が無くなった不動明王様と様観音様が祀られています。その横に小さなマリア像もあります。この社の右横に巳(みい)さんが祀られている社があります。また、本殿に向かって左側の細い山道を上がっていくと鳥居と小さなな社が見えてきます。ここも巳(みい)さんが祀られているようです。社の周りには3本の神木が立っています。

 

 

 

住所:奈良県奈良市二名平野二丁目

 

 

 

 

 

 

 

【川面神社】(かわもじんじゃ)兵庫県宝塚市

【川面神社】(かわもじんじゃ)兵庫県宝塚市

 

祭神は、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、神皇産霊神(かみむすびのかみ)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の3神。794年3月創建と伝えられる。創建時の社名は不明。戦国時代、織田信長荒木村重の戦いにより荒廃、豊臣秀吉の命を受けて普請奉行に就いた片桐且元によって復興された。同時期に大梵天王宮と改称、1722年の寺社改帳では、川面村の産土神は大梵天王社とされている。
江戸時代は境内に弁財天・住吉・八幡・牛王天王の4社の末社を持ち、別当寺の真言宗法楽寺が置かれる程の勢力を有した。1868年 - 廃仏毀釈により法楽寺を廃寺、祭神に天照大御神を加えて3神として皇大神社へ改称した。
1915年 - 川面神社へ改称する。

 

 

所在地: 兵庫県宝塚市宮の町11-7

 

アクセス:
阪急宝塚線清荒神駅から徒歩5分
阪急今津線宝塚南口駅から徒歩9分
JR宝塚線阪急宝塚線宝塚駅から徒歩11分

 

 

 

【名来神社】(ならいじんじゃ)兵庫県西宮市 (2/2)

【名来神社】(ならいじんじゃ)兵庫県西宮市 (2/2)

 

国道176号線中国道と交差す る地点から北400m程の所に【名来神社】(ならいじんじゃ)があります。【名来神社】(ならいじんじゃ)は火の神様と水の神様の二社から成る神社です。「火の神様」である「愛宕社」は「軻遇突智命(かぐづちのみこと)」をおまつりしています。古くからこの地にあり、どのような理由で社地を拓いてお宮を立てたのかは不明です。昭和以降では、昭和4(1929)年に地区住民の共同作業で工事が始まり、昭和6(1931)年に京都の愛宕神社の神璽を受けて旧愛宕社(木造瓦葺)が完成しました。その後何度かの改築、鳥居の建て替えなどを経て、昭和49(1974)年に山口町徳風会の援助を受けて現在の愛宕社の社殿が建築されました。
「水の神様」である「水神社」は、昭和14(1939)年に前年夏の阪神大水害(文豪谷崎潤一郎の「細雪」にも記述があります)の被害を受けた人々が、将来の水害を防いでいただけるよう願いを込めて、東京日本橋の水天宮の神璽をうけ、祠を設けて祭祀したのが始まりです。「罔象女命」(みつはのめのみこと)をおまつりしています。

 

 

住所:兵庫県西宮市山口町名来1096

 

 

【名来神社】(ならいじんじゃ)兵庫県西宮市 (1/2)

【名来神社】(ならいじんじゃ)兵庫県西宮市 (1/2)

 

国道176号線中国道と交差す る地点から北400m程の所に【名来神社】(ならいじんじゃ)があります。【名来神社】(ならいじんじゃ)は火の神様と水の神様の二社から成る神社です。「火の神様」である「愛宕社」は「軻遇突智命(かぐづちのみこと)」をおまつりしています。古くからこの地にあり、どのような理由で社地を拓いてお宮を立てたのかは不明です。昭和以降では、昭和4(1929)年に地区住民の共同作業で工事が始まり、昭和6(1931)年に京都の愛宕神社の神璽を受けて旧愛宕社(木造瓦葺)が完成しました。その後何度かの改築、鳥居の建て替えなどを経て、昭和49(1974)年に山口町徳風会の援助を受けて現在の愛宕社の社殿が建築されました。
「水の神様」である「水神社」は、昭和14(1939)年に前年夏の阪神大水害(文豪谷崎潤一郎の「細雪」にも記述があります)の被害を受けた人々が、将来の水害を防いでいただけるよう願いを込めて、東京日本橋の水天宮の神璽をうけ、祠を設けて祭祀したのが始まりです。「罔象女命」(みつはのめのみこと)をおまつりしています。

 

 

住所:兵庫県西宮市山口町名来1096

 

 

【加茂神社】(かもじんじゃ)兵庫県三田市 (2/2)

【加茂神社】(かもじんじゃ)兵庫県三田市

 

 

祭神は、別雷神、天照皇大神、菅原道眞。摂社は、大歳神社「大歳御祖神」、金比羅宮「金刀比羅大權現」、戎神社。近世当以来、天満神社と呼ばれているのは、領主九鬼氏が天満神社を篤く信仰していたところから、当社も天満を称するようになったという。

 

往時中ノ荘加茂兌乾二位の間に鎮座して、別雷神を奉祀して加茂神祀と称していたが、天文二年に京都北野神社より、菅原道真の分霊を勧請した。 
 降って、江戸時代旧領主九鬼氏が志摩國鳥羽より三田へ移封されてから、天満宮を篤く崇敬したので、当社氏子もまた天満宮と称して遂に加茂の社号を忘れるようになった。慶応年間になって領主九鬼氏は、村内大神宮を当社に合祀させた。 
 昭和二十六年十一月十二日、神社本庁統理の承認を得て、「加茂神社」と旧社名に変更した。

 

 

 

住所:兵庫県三田市加茂字野口411

 

アクセス:JR広野駅 東へ回り込んで600m

 

【加茂神社】(かもじんじゃ)兵庫県三田市 (1/2)

【加茂神社】(かもじんじゃ)兵庫県三田市

 

祭神は、別雷神、天照皇大神、菅原道眞。摂社は、大歳神社「大歳御祖神」、金比羅宮「金刀比羅大權現」、戎神社。近世当以来、天満神社と呼ばれているのは、領主九鬼氏が天満神社を篤く信仰していたところから、当社も天満を称するようになったという。
往時中ノ荘加茂兌乾二位の間に鎮座して、別雷神を奉祀して加茂神祀と称していたが、天文二年に京都北野神社より、菅原道真の分霊を勧請した。 
 降って、江戸時代旧領主九鬼氏が志摩國鳥羽より三田へ移封されてから、天満宮を篤く崇敬したので、当社氏子もまた天満宮と称して遂に加茂の社号を忘れるようになった。慶応年間になって領主九鬼氏は、村内大神宮を当社に合祀させた。 
 昭和二十六年十一月十二日、神社本庁統理の承認を得て、「加茂神社」と旧社名に変更した。

 

 

住所:兵庫県三田市加茂字野口411

 

アクセス:JR広野駅 東へ回り込んで600m