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【隅田八幡神社】(すだはちまんじんじゃ)和歌山県橋本市 (1/2)

【隅田八幡神社】(すだはちまんじんじゃ)和歌山県橋本市

 

京都府石清水八幡宮から勧請された神社である。ここに伝わる人物画象鏡は、日本最古の金石文のひとつとして国宝に指定されている。10月中旬の例祭は、県の無形民俗文化財に指定されている。永禄3年(1560年)、松永久秀によって社殿堂塔が一時焼亡したが、慶長年間に再建されている。

 

 

国宝に指定されている【隅田八幡神社】所有の「銅鏡」(東京国立博物館に寄託)。銘文に、

 

「癸未年八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時斯麻念長寿遣開中費直穢人今州利二人等取白上同二百旱作此竟」
(癸未の年八月十日、男弟王が意柴沙加の宮にいます時、斯麻が長寿を念じて河内直、穢人今州利の二人らを遣わして白上銅二百旱を取ってこの鏡を作る)(判読・解釈には異説あり) とあり、「癸未年」(503年)、「男弟王」が大和の「意柴沙加宮」(忍坂宮)にいたときに「斯麻」が鏡を作らせて「男弟王」の長寿を祈ったことが記される。「斯麻」は日本書紀のみならず墓誌にも別称の記された武寧王であるとの見方が強まっている。「男弟(おおと)王」は「男大迹(おほど)王」に比定することができ、その場合は継体天皇をさすと考えられる。この解釈では、継体天皇は503年に大和の忍坂宮にいたこととなり、継体天皇畿内勢力の抵抗のため晩年まで大和盆地に入れなかったという見解は成り立たなくなる。ただし、ヲホドとヲヲトでは、6世紀初頭では相当発音も異なっており、「癸未年」として443年をあてる考えもあるなど、さまざまな問題を含んでいる。

 

(撮影 :2018/4/26)