⑤【修学院離宮】(しゅがくいんりきゅう)京都市左京区 [Shugakuin Imperial Villa] Kyoto city

修学院離宮】(しゅがくいんりきゅう)京都市左京区  
[Shugakuin Imperial Villa]   Kyoto city

 

 

京都市左京区修学院の比叡山麓にある皇室関連施設。
修学院離宮は上御茶屋(かみのおちゃや)、中御茶屋(なかのおちゃや)、下御茶屋(しものおちゃや)と呼び習わす3か所の庭園からなり、面積は54万平方メートルに及ぶ。
17世紀中頃(1653年(承応2年) - 1655年(承応4年))に後水尾上皇の指示で造営された離宮(皇居以外に設けられた天皇上皇の別邸)である。谷川を堰き止めた人工池を中心とした広大な庭園とその関連建物からなる。桂離宮・仙洞御所とならび、王朝文化の美意識の到達点を示すものとなっている。宮内庁京都事務所が管理している。

 

住所:京都府京都市左京区修学院藪添

 

 

(撮影:2017/3/14)

修学院離宮】(しゅがくいんりきゅう)は上御茶屋(かみのおちゃや)、中御茶屋(なかのおちゃや)、下御茶屋(しものおちゃや)と呼び習わす3か所の庭園からなり、面積は54万平方メートルに及ぶ。

 

各御茶屋の間には田畑が広がり、細い松並木道が各御茶屋を結んでいる。上御茶屋と下御茶屋は、後水尾上皇(第108代天皇)の指示により、1655年(明暦元年)から1659年(万治2年)にかけて江戸幕府が造営した離宮である。後水尾上皇は女中に変装して輿に乗り、造営中の離宮を自ら訪れて造営の指図をしたというが、真偽のほどは定かでない。
上・下御茶屋は1884年(明治17年)、宮内省の所管となった。一方、中御茶屋は、同じ頃後水尾上皇の皇女の御所として造営されたもので、1885年(明治18年)に修学院離宮に編入された。修学院離宮は、第二次大戦後は、京都御所桂離宮などと同様、「皇室用財産」(所有者は国)と位置づけられて、宮内庁が管理している。見学には、事前に宮内庁京都事務所に、郵送・直接申請あるいはインターネットを通じて申し込んで許可を得る必要がある。また18歳未満の者の見学はできない。

 

修学院離宮の「修学院」は離宮の名称でなく、離宮の所在する地名の旧称、すなわち(山城国愛宕郡)修学院村(現在の京都市左京区修学院などを含む)を意味し、その名はかつてこの近隣に所在していた寺院に由来するものである。

④【修学院離宮】(しゅがくいんりきゅう)京都市左京区 [Shugakuin Imperial Villa] Kyoto city

修学院離宮】(しゅがくいんりきゅう)京都市左京区
[Shugakuin Imperial Villa] Kyoto city

 

京都市左京区修学院の比叡山麓にある皇室関連施設。
修学院離宮は上御茶屋(かみのおちゃや)、中御茶屋(なかのおちゃや)、下御茶屋(しものおちゃや)と呼び習わす3か所の庭園からなり、面積は54万平方メートルに及ぶ。
17世紀中頃(1653年(承応2年) - 1655年(承応4年))に後水尾上皇の指示で造営された離宮(皇居以外に設けられた天皇上皇の別邸)である。谷川を堰き止めた人工池を中心とした広大な庭園とその関連建物からなる。桂離宮・仙洞御所とならび、王朝文化の美意識の到達点を示すものとなっている。宮内庁京都事務所が管理している。

 

住所:京都府京都市左京区修学院藪添

 

(撮影:2017/3/14)

 

修学院離宮】(しゅがくいんりきゅう)は上御茶屋(かみのおちゃや)、中御茶屋(なかのおちゃや)、下御茶屋(しものおちゃや)と呼び習わす3か所の庭園からなり、面積は54万平方メートルに及ぶ。

 

各御茶屋の間には田畑が広がり、細い松並木道が各御茶屋を結んでいる。上御茶屋と下御茶屋は、後水尾上皇(第108代天皇)の指示により、1655年(明暦元年)から1659年(万治2年)にかけて江戸幕府が造営した離宮である。後水尾上皇は女中に変装して輿に乗り、造営中の離宮を自ら訪れて造営の指図をしたというが、真偽のほどは定かでない。
上・下御茶屋は1884年(明治17年)、宮内省の所管となった。一方、中御茶屋は、同じ頃後水尾上皇の皇女の御所として造営されたもので、1885年(明治18年)に修学院離宮に編入された。修学院離宮は、第二次大戦後は、京都御所桂離宮などと同様、「皇室用財産」(所有者は国)と位置づけられて、宮内庁が管理している。見学には、事前に宮内庁京都事務所に、郵送・直接申請あるいはインターネットを通じて申し込んで許可を得る必要がある。また18歳未満の者の見学はできない。

 

修学院離宮の「修学院」は離宮の名称でなく、離宮の所在する地名の旧称、すなわち(山城国愛宕郡)修学院村(現在の京都市左京区修学院などを含む)を意味し、その名はかつてこの近隣に所在していた寺院に由来するものである。

③【修学院離宮】(しゅがくいんりきゅう)京都市左京区 [Shugakuin Imperial Villa] Kyoto city

修学院離宮】(しゅがくいんりきゅう)京都市左京区
[Shugakuin Imperial Villa] Kyoto city

 

京都市左京区修学院の比叡山麓にある皇室関連施設。
修学院離宮は上御茶屋(かみのおちゃや)、中御茶屋(なかのおちゃや)、下御茶屋(しものおちゃや)と呼び習わす3か所の庭園からなり、面積は54万平方メートルに及ぶ。
17世紀中頃(1653年(承応2年) - 1655年(承応4年))に後水尾上皇の指示で造営された離宮(皇居以外に設けられた天皇上皇の別邸)である。谷川を堰き止めた人工池を中心とした広大な庭園とその関連建物からなる。桂離宮・仙洞御所とならび、王朝文化の美意識の到達点を示すものとなっている。宮内庁京都事務所が管理している。

 

住所:京都府京都市左京区修学院藪添

 

 

(撮影:2017/3/14)

修学院離宮】(しゅがくいんりきゅう)は上御茶屋(かみのおちゃや)、中御茶屋(なかのおちゃや)、下御茶屋(しものおちゃや)と呼び習わす3か所の庭園からなり、面積は54万平方メートルに及ぶ。

 

各御茶屋の間には田畑が広がり、細い松並木道が各御茶屋を結んでいる。上御茶屋と下御茶屋は、後水尾上皇(第108代天皇)の指示により、1655年(明暦元年)から1659年(万治2年)にかけて江戸幕府が造営した離宮である。後水尾上皇は女中に変装して輿に乗り、造営中の離宮を自ら訪れて造営の指図をしたというが、真偽のほどは定かでない。
上・下御茶屋は1884年(明治17年)、宮内省の所管となった。一方、中御茶屋は、同じ頃後水尾上皇の皇女の御所として造営されたもので、1885年(明治18年)に修学院離宮に編入された。修学院離宮は、第二次大戦後は、京都御所桂離宮などと同様、「皇室用財産」(所有者は国)と位置づけられて、宮内庁が管理している。見学には、事前に宮内庁京都事務所に、郵送・直接申請あるいはインターネットを通じて申し込んで許可を得る必要がある。また18歳未満の者の見学はできない。

 

修学院離宮の「修学院」は離宮の名称でなく、離宮の所在する地名の旧称、すなわち(山城国愛宕郡)修学院村(現在の京都市左京区修学院などを含む)を意味し、その名はかつてこの近隣に所在していた寺院に由来するものである。

②【修学院離宮】(しゅがくいんりきゅう)京都市左京区 [Shugakuin Imperial Villa] Kyoto city

修学院離宮】(しゅがくいんりきゅう)京都市左京区
[Shugakuin Imperial Villa] Kyoto city

 

京都市左京区修学院の比叡山麓にある皇室関連施設。
修学院離宮は上御茶屋(かみのおちゃや)、中御茶屋(なかのおちゃや)、下御茶屋(しものおちゃや)と呼び習わす3か所の庭園からなり、面積は54万平方メートルに及ぶ。
17世紀中頃(1653年(承応2年) - 1655年(承応4年))に後水尾上皇の指示で造営された離宮(皇居以外に設けられた天皇上皇の別邸)である。谷川を堰き止めた人工池を中心とした広大な庭園とその関連建物からなる。桂離宮・仙洞御所とならび、王朝文化の美意識の到達点を示すものとなっている。宮内庁京都事務所が管理している。

 

 

住所:京都府京都市左京区修学院藪添

 

(撮影:2017/3/14)

修学院離宮】(しゅがくいんりきゅう)は上御茶屋(かみのおちゃや)、中御茶屋(なかのおちゃや)、下御茶屋(しものおちゃや)と呼び習わす3か所の庭園からなり、面積は54万平方メートルに及ぶ。

 

各御茶屋の間には田畑が広がり、細い松並木道が各御茶屋を結んでいる。上御茶屋と下御茶屋は、後水尾上皇(第108代天皇)の指示により、1655年(明暦元年)から1659年(万治2年)にかけて江戸幕府が造営した離宮である。後水尾上皇は女中に変装して輿に乗り、造営中の離宮を自ら訪れて造営の指図をしたというが、真偽のほどは定かでない。
上・下御茶屋は1884年(明治17年)、宮内省の所管となった。一方、中御茶屋は、同じ頃後水尾上皇の皇女の御所として造営されたもので、1885年(明治18年)に修学院離宮に編入された。修学院離宮は、第二次大戦後は、京都御所桂離宮などと同様、「皇室用財産」(所有者は国)と位置づけられて、宮内庁が管理している。見学には、事前に宮内庁京都事務所に、郵送・直接申請あるいはインターネットを通じて申し込んで許可を得る必要がある。また18歳未満の者の見学はできない。

 

修学院離宮の「修学院」は離宮の名称でなく、離宮の所在する地名の旧称、すなわち(山城国愛宕郡)修学院村(現在の京都市左京区修学院などを含む)を意味し、その名はかつてこの近隣に所在していた寺院に由来するものである。

①【修学院離宮】(しゅがくいんりきゅう)京都市左京区 [Shugakuin Imperial Villa] Kyoto city

修学院離宮】(しゅがくいんりきゅう)京都市左京区
[Shugakuin Imperial Villa] Kyoto city

 

京都市左京区修学院の比叡山麓にある皇室関連施設。
修学院離宮は上御茶屋(かみのおちゃや)、中御茶屋(なかのおちゃや)、下御茶屋(しものおちゃや)と呼び習わす3か所の庭園からなり、面積は54万平方メートルに及ぶ。
17世紀中頃(1653年(承応2年) - 1655年(承応4年))に後水尾上皇の指示で造営された離宮(皇居以外に設けられた天皇上皇の別邸)である。谷川を堰き止めた人工池を中心とした広大な庭園とその関連建物からなる。桂離宮・仙洞御所とならび、王朝文化の美意識の到達点を示すものとなっている。宮内庁京都事務所が管理している。

 

住所:京都府京都市左京区修学院藪添

 

(撮影:2017/3/14)

修学院離宮】(しゅがくいんりきゅう)は上御茶屋(かみのおちゃや)、中御茶屋(なかのおちゃや)、下御茶屋(しものおちゃや)と呼び習わす3か所の庭園からなり、面積は54万平方メートルに及ぶ。

 

各御茶屋の間には田畑が広がり、細い松並木道が各御茶屋を結んでいる。上御茶屋と下御茶屋は、後水尾上皇(第108代天皇)の指示により、1655年(明暦元年)から1659年(万治2年)にかけて江戸幕府が造営した離宮である。後水尾上皇は女中に変装して輿に乗り、造営中の離宮を自ら訪れて造営の指図をしたというが、真偽のほどは定かでない。
上・下御茶屋は1884年(明治17年)、宮内省の所管となった。一方、中御茶屋は、同じ頃後水尾上皇の皇女の御所として造営されたもので、1885年(明治18年)に修学院離宮に編入された。修学院離宮は、第二次大戦後は、京都御所桂離宮などと同様、「皇室用財産」(所有者は国)と位置づけられて、宮内庁が管理している。見学には、事前に宮内庁京都事務所に、郵送・直接申請あるいはインターネットを通じて申し込んで許可を得る必要がある。また18歳未満の者の見学はできない。

 

修学院離宮の「修学院」は離宮の名称でなく、離宮の所在する地名の旧称、すなわち(山城国愛宕郡)修学院村(現在の京都市左京区修学院などを含む)を意味し、その名はかつてこの近隣に所在していた寺院に由来するものである。

 

【賀茂御祖神社】(かもみおやじんじゃ)京都市左京区

賀茂御祖神社】(かもみおやじんじゃ)京都市左京区

 

通称は「下鴨神社」(しもがもじんじゃ)。式内社名神大社)、山城国一宮、二十二社(上七社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社
ユネスコ世界遺産に「古都京都の文化財」の1つとして登録されている。
賀茂別雷神社上賀茂神社)とともに賀茂氏氏神を祀る神社であり、両社は賀茂神社賀茂社)と総称される。両社で催す賀茂祭(通称 葵祭)で有名。
本殿には、右に賀茂別雷命上賀茂神社祭神)の母の玉依姫命、左に玉依姫命の父の賀茂建角身命を祀るため「賀茂御祖神社」と呼ばれる。金鵄および八咫烏賀茂建角身命の化身である。
境内に糺の森(ただすのもり)、御手洗川、みたらし池がある。
神社は2つの川の合流点から一直線に伸びた参道と、その正面に神殿、という直線的な配置になっている。
東殿:玉依姫命 (たまよりひめのみこと) - 賀茂別雷命上賀茂神社の祭神)の母
西殿:賀茂建角身命 (かもたけつぬみのみこと) - 玉依姫命の父

 

所在地:京都府京都市左京区下鴨泉川町59
アクセス:京阪電鉄 出町柳駅 (徒歩約10分)

 

 

 

 

 

 

 

【相生神社】(あいおいじんじゃ)京都市左京区

【相生神社】(あいおいじんじゃ)京都市左京区

 

下鴨神社」の楼門そばに【相生神社】(あいおいじんじゃ)という縁結びの神さまが祀られています。御祭神の神皇産霊神(かむむすびのかみ)は縁結びの神、結納の守護神としてあがめられています。めでたいことを「相生」といいますが、この言葉は「相生社(あいおいのやしろ)」からできた言葉です。
相生社の側に「連理の賢木(れんりのさかき)」という不思議なご神木があります。2本の木が途中から1本に結ばれています。縁結びの神のお力で結ばれたと言い伝えられています。不思議なことにこの木が枯れると、下鴨神社境内の糺の森に同じように結ばれた木が見つかるのです。現在のご神木も4代目だそうです。この縁結びのご神木は「京の七不思議」の一つとされています。

 

御祭神:神皇産霊神(かむむすびのかみ)
ご神徳:縁結び、安産、育児、家内安全

 

 

住所:京都市左京区下鴨泉川町59(下鴨神社の境内)

 

アクセス:京阪電車叡山電車出町柳」 駅より徒歩約10分(地下の駅から地上へ出て高野川を河合橋で渡り、右(北)へ少し歩くと下鴨神社の赤い鳥居が見えます。)