【大阪天満宮】(おおさかてんまんぐう)大阪市 ①
【櫻宮(桜宮神社)】(さくらのみやじんじゃ)大阪市都島区
櫻宮(桜宮神社)の由緒について;「兵火洪水の難にあい神宝記録が無くなってしまったことから創建は不詳ですが、元は東生郡野出「小橋」桜の馬場字「宮田」(東成郡野田村)に氏神として奉斎したのが始まりとされます。
豊臣氏が桜を愛し、馬場に馬を進めて落花の下に勇壮なる流鏑馬式を行なったと言われています。
慶長18年冬に再建されたが、元和6年大和川の洪水により社殿流出して、中野村(今の環状線桜宮駅直下の地)に漂着、此の地に祀ったのですが、寛文6年、延宝2年の水禍にかかり、低地であったため社地に適さないということで、城代の許しを得て、現在の地に(神鳳抄によると摂津中村厨にして伊勢神宮の旧由緒地であると言います)還座しました。
「宮田」に鎮祭の時代より大阪城守護社として豊臣氏、徳川氏の崇敬をうけてきといいます。社地は櫻宮の名前の通り桜の美しい場所でありました。
往年は近くを流れる大川沿いには桜の木々が植えられており、周囲は田園地帯が広がる景勝地で、茶店などが立ち並び、境内はせまく感じられるほどに人々で賑わったと言うことです。
しかし明治18年の大洪水や、周囲の発展、昭和20年の空襲などよって、様変わりした時期もあったようですが、現在はまた桜宮公園一帯など整備されており、付近は花見のシーズンでは大勢で賑わう場所です。明治5年郷社に列し、明治39年神饌幣帛料供進神社に指定されました。」
境内に「八柱神社・祖霊社」があります。また、本殿の横の「早馬稲荷神社」があります。
住所:大阪府大阪市都島区中野町1丁目12−32
アクセス:JR大阪環状線「桜ノ宮駅」から約600m。又は
JR東西線「大阪城北詰駅」から約800m。
(撮影:2017/04/19)
鶯塚】(うぐいすつか)大阪市北区
【鶯塚】(うぐいすつか)大阪市北区
天満方面から長柄橋へ向う途中、旧道の脇に【鶯塚】(うぐいすつか)があります。大きな木を赤い鳥居と玉垣で囲われています。「稲荷神」も祀られています。
由緒が書かれたパネル板があり。「鶯塚の由来」についてつぎのように書かれてあります。
この鶯塚は今から千二百年ほど昔、長柄長者の美姫が鶯を飼って人間の様にに可愛がっていた。ところがこの姫が病の為に死ぬと鶯は深くその死を悲しみ歌を詠み後を追う如く死んでしまった。
長者たちは、このうるわし話しを後世までも伝えようと鶯を姫と一緒に埋葬して鶯塚と名付けたと言われている。
又長柄は千三百十年前人皇台三十六代孝徳天皇の遺跡で中大兄皇子(後、天智天皇)及び中臣の鎌足(藤原氏祖)と共に蘇我氏の専横を退けて、大化の改新を断行された由緒の地で、「摂津名所図絵」によると「孝徳天皇の御陵は南河内の山田村に古来より鶯凌と称へられているので、この鶯塚も天皇に関係の高貴の方の御墓であろう」とある。
又今から二百四十年前の正徳三年夏、河内狭山の藩士で笹本源之介が父の仇加州の浪人羽滝伝太郎を母と共に四年間さがしもとめて遂に長柄長者の配慮により、この鶯塚のほとりで見事仇討ちをとげ狭山藩に帰ってから長者の娘お梅を妻に迎えたと云う、この鶯塚を舞台にした芝居もある。昔は小丘の上五輪塔の墓があって、その前に「鶯塚」と刻んだ今の石標が立てられ小庵もあって四時薫香が絶えなかったと言う。
住所:大阪府大阪市 北区長柄東2丁目7
アクセス:地下鉄谷町線・堺筋線・阪急千里線「天神橋筋六丁目駅」から約900m。
近くに【淀川天神社】(よどがわてんじんしゃ)があります。
(撮影:2017/04/19)
【龍王大神】( りゅうおうおおかみ)大阪市北区
大阪市北区の交通量の多い道路上に【龍王大神】( りゅうおうおおかみ)は鎮座しています。祠の下には、「龍王大神」と書かれてあり、その横には、太融寺の文字が見えます。この付近は、元は太融寺の境内で、その後、一帯が道路となり、このイチョウも伐採されようとしたのでした。ところが、幹に鋸を入れて4分の1ほど伐ったところで事故が起こり、伐採した人は、その事故がもとで死んでしましったといわれてます。伐採は中止となり、イチョウは現在に至るまで道路の真ん中に鎮座するかたちとなりました。その後、地元の人が、「龍王大神」を祀るようになったとのことです。
住所:大阪市北区西天満4丁目3
アクセス:地下鉄堺筋線「扇町駅」から約600m。
(撮影:2017/04/19)
【敷津松之宮西成旅所】(しきつまつのみやにしなりたびしょ)大阪市西成区
【敷津松之宮】(しきつまつのみや)西成旅所
【敷津松之宮】(しきつまつのみや)は、大阪府大阪市浪速区にある神社で、地元では「木津の大国さん」と呼ばれています。こちらは、西成区松2丁目にある【敷津松之宮】(しきつまつのみや)の西成旅所です。【敷津松之宮】の摂社の「大国主神社」がよく知られており、付近の町名や大国町駅の由来にもなっています。
神功皇后が三韓征伐より帰朝し、住吉大社から敷津の浜を航行していると、海岸に荒波が打ち寄せており、渚に松を3本植えて、ここより潮が満ちないよう祈願し、その松の下に素盞嗚尊を祀ったのが由緒とされています。
所在地 :大阪市西成区松2丁目3番
アクセス:南海汐見橋線西天下茶屋駅より徒歩約8分。
(撮影:2017/04/19)