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kazu1000のブログ / 社寺仏閣巡り 社寺仏閣巡りが好きです。特に神社が好きで関西を中心に廻っています。Instagram:https://www.instagram.com/kazuyoshi1000

【南都鏡神社】(なんとかがみじんじゃ)奈良市高畑町

【南都鏡神社】(なんとかがみじんじゃ)奈良市高畑町

 

【南都鏡神社】(なんとかがみじんじゃ)は、奈良県奈良市高畑町にある神社である。藤原広嗣を祭神とする。大同元年(806年)に新薬師寺の鎮守として境内南側にて創建された。藤原広嗣が処刑された唐津の鏡神社から勧請を受けたものと伝えられる。
現在の本殿は、延享3年(1746年)に春日大社の第三殿を譲り受け、移築されたものである。一間社春日造建築で、奈良市指定文化財となっている。祭神は、天照皇大神藤原広嗣、地主神。

 

所在地 :奈良県奈良市高畑町468番地
アクセス:JR奈良駅から奈良交通バス「市内循環」または「中循環」で「破石町」下車東へ徒歩10分

 

 

(撮影:2017/12/17)

 

 

 

 

【比賣神社】(ひめがみじんじゃ)奈良市高畑町

【比賣神社】(ひめがみじんじゃ)奈良市高畑町

 

 

【比賣神社】(ひめがみじんじゃ)は本神社東側の鳥居から10mほど東、新薬師寺のすぐ東南に鎮座されています。御祭神は、十市皇女。古来より「高貴の姫君の墓」比売塚(ひめづか)として伝えられていた所で、昭和56年(1981年)より十市皇女(とおちのひめみこ)を祭神として祀られるようになっています。十市皇女の父君は、大海人皇子(後の天武天皇)、母は額田姫王。天智天皇の皇子、大友皇子(後の弘文天皇)の妃であり、葛野王の母です。

 

 

 

所在地:奈良県奈良市高畑町468

 

(撮影:2017/12/17)

 

 

 

 

 

【新薬師寺】(しんやくしじ)奈良市高畑町 2/2

【新薬師寺】(しんやくしじ)奈良市高畑町 2/2

 

【新薬師寺】(しんやくしじ)は、奈良市高畑町にある華厳宗の寺院である。本尊は薬師如来、開基(創立者)は光明皇后または聖武天皇と伝える。山号は日輪山(ただし、古代の寺院には山号はなく、後世に付したものである)。奈良時代には南都十大寺の1つに数えられ、平安時代以降は規模縮小したが、国宝の本堂や奈良時代十二神将像をはじめ、多くの文化財を伝えている。奈良市街地の南東方、春日大社の二の鳥居の南方に位置する。最盛期には4町(約440メートル)四方の寺地を有し、現在の奈良教育大学のキャンパスあたりまでが新薬師寺の境内地であった。

 

薬師寺奈良時代(8世紀)創建の官立寺院であることは間違いないが、創建の正確な時期や事情については正史に記載がない。平安時代末期成立の『東大寺要録』には、末寺である新薬師寺についての記載があり、同書の巻第一・本願章には「天平19年(747年)、光明皇后が夫聖武天皇の病気平癒のため新薬師寺を建て、七仏薬師像を造った」とある。また、同書巻第六・末寺章によれば、新薬師寺は別名を香薬寺といい、九間の仏堂に「七仏(薬師)浄土七躯」があったという。天平宝字6年3月1日(762年3月30日)の「造東大寺司告朔解」(こくさくげ)という文書(正倉院文書)によると、当時「造香山薬師寺所」という臨時の役所が存在し、香山薬師寺(新薬師寺の別名)の造営がまだ続いていたことがわかる。

 

続日本紀』の記載を見ると、聖武天皇の病気は2年前の天平17年(745年)以来のもので、新薬師寺の建立された天平19年(747年)頃は小康状態にあったようである。『続紀』によると、天平17年(745年)9月には聖武の病気平癒のため、京師と畿内の諸寺に薬師悔過(けか)法要の実施を命じ、また諸国に「薬師仏像七躯高六尺三寸」の造立を命じている。新薬師寺の創建は、この七仏薬師造立の勅命にかかわるものとみられている

 

 

 

所在地 :奈良県奈良市高畑町1352

 

(撮影:2017/12/17)

 

 

 

 

【新薬師寺】(しんやくしじ)奈良市高畑町 1/2

【新薬師寺】(しんやくしじ)奈良市高畑町 1/2

 

【新薬師寺】(しんやくしじ)は、奈良市高畑町にある華厳宗の寺院である。本尊は薬師如来、開基(創立者)は光明皇后または聖武天皇と伝える。山号は日輪山(ただし、古代の寺院には山号はなく、後世に付したものである)。奈良時代には南都十大寺の1つに数えられ、平安時代以降は規模縮小したが、国宝の本堂や奈良時代十二神将像をはじめ、多くの文化財を伝えている。奈良市街地の南東方、春日大社の二の鳥居の南方に位置する。最盛期には4町(約440メートル)四方の寺地を有し、現在の奈良教育大学のキャンパスあたりまでが新薬師寺の境内地であった。

 

薬師寺奈良時代(8世紀)創建の官立寺院であることは間違いないが、創建の正確な時期や事情については正史に記載がない。平安時代末期成立の『東大寺要録』には、末寺である新薬師寺についての記載があり、同書の巻第一・本願章には「天平19年(747年)、光明皇后が夫聖武天皇の病気平癒のため新薬師寺を建て、七仏薬師像を造った」とある。また、同書巻第六・末寺章によれば、新薬師寺は別名を香薬寺といい、九間の仏堂に「七仏(薬師)浄土七躯」があったという。天平宝字6年3月1日(762年3月30日)の「造東大寺司告朔解」(こくさくげ)という文書(正倉院文書)によると、当時「造香山薬師寺所」という臨時の役所が存在し、香山薬師寺(新薬師寺の別名)の造営がまだ続いていたことがわかる。

 

続日本紀』の記載を見ると、聖武天皇の病気は2年前の天平17年(745年)以来のもので、新薬師寺の建立された天平19年(747年)頃は小康状態にあったようである。『続紀』によると、天平17年(745年)9月には聖武の病気平癒のため、京師と畿内の諸寺に薬師悔過(けか)法要の実施を命じ、また諸国に「薬師仏像七躯高六尺三寸」の造立を命じている。新薬師寺の創建は、この七仏薬師造立の勅命にかかわるものとみられている

 

所在地 :奈良県奈良市高畑町1352

 

 

(撮影:2017/12/17)

 

投稿した写真が Google で新記録を達成!閲覧回数 1,500,000 回 【生安寺】(しょうあんじ)大阪府柏原市

投稿した写真の閲覧回数が 1,500,000 回を超えました。
Google マップでの自己新記録です。

 

 

 

 

👇 融通念仏宗【生安寺】(しょうあんじ)大阪府柏原市

 

 

 

 

 

 

 

投稿した写真が Google で新記録を達成!閲覧回数 450,000 回 【住吉神社】(東大阪市)

投稿した写真の閲覧回数が 450,000 回を超えました。
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住所:大阪府東大阪市鴻池徳庵町 7
アクセス:JR片町線徳庵駅」から約500m。

 

 

 

 

 

👇こちらは大東市の【住吉神社】(すみよしじんじゃ)

 

 

【大宮神社】(おおみやじんじゃ)大阪市旭区

【大宮神社】(おおみやじんじゃ)大阪市旭区

 

ご祭神は、応神天皇神功皇后姫大神大国主神事代主神・鬼門守護大神他。
由緒について;
大宮神社の創建は、今から約800年昔、文治元年(1185年)2月、源義経平氏追討の為下向の際、この地に一泊し、その時に宇佐八幡の神の霊夢を見、目覚めてみれば、一樹の梅の古木に霊鏡が掛けられていました。義経は吾に神助ありと勇気百倍、その鏡を奉じて平家を討ち滅ぼし、後鳥羽上皇に奉上して神社建立をお願いして許され、この地に社を建てて大宮八幡宮と称したと伝えられています。摂津誌に記されている「南島神社」は当社のことです。降って天正11年(1583年)豊臣秀吉大阪城を築くに当たり、当社を「鬼門守護神」として崇め、社殿、末社を建立、神域を整備しました。
 その後、明治40年9月に産土神社他6社を合祀し、明治45年4月に大宮八幡宮を改め大宮神社と称し現在に至っています。

 

 

 

住所:大阪府大阪市旭区大宮3丁目

 

(撮影:2017/12/10)