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【秋篠寺】(あきしのでら)奈良市

【秋篠寺】(あきしのでら)奈良市

 

奈良時代末期780年頃、光仁天皇の勅願によって建立され、開山は善珠僧正と伝えられています。平城京西北の外れ「秋篠」の地に建てられたためこう呼ばれています。平安時代末期に戦火のため伽藍の大部分を焼失し、鎌倉時代には今の本堂がもとの講堂の跡に再興されましたが、金堂や東西両塔の跡は雑木林になってしまっています。本堂に25体安置されている仏像の中でも特に著名なのが伎芸天(重文)で、諸技諸芸の守護神として多くの芸術家や芸能人らに慕われ、またその造形の優美な写実性は古美術愛好家の間でも広く親しまれています。
国宝の本堂は、鎌倉時代の建立で、当時の和様仏堂の代表作の1つ。正面5間、側面4間。屋根は寄棟造、本瓦葺き。堂の周囲には縁などを設けず、内部は床を張らずに土間となっています。正面の柱間5間は中央3間を格子戸、左右両端の間を連子窓。全体に保守的で簡素な構成で、鎌倉時代の再建でありながら奈良時代建築を思わせる様式を示す建物です。和様建築では柱上部の頭貫(かしらぬき)以外には貫を用いず長押を使用するのが原則ですが、この建物では内法長押(うちのりなげし)の下に内法貫を使用し、内部の繋虹梁(つなぎこうりょう)も身舎(もや)側では柱に差し込むなどの新技法が使われているます。また、建物内部の柱にも風蝕痕が残ることなどから、建立当初は建物前面の左右5間・奥行1間分を、壁や建具を入れない吹き放しとしていたと推定されます。堂内には本尊薬師三尊像(重文)を中心に、十二神将像、地蔵菩薩立像(重文)、帝釈天立像(重文)、伎芸天立像(重文)など安置されています。

 

所在地 :奈良県奈良市秋篠町757
アクセス: 近鉄大和西大寺駅 北口より押熊行バス6分「秋篠寺」下車すぐ。

 

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【西大寺】(さいだいじ)奈良市 ②

西大寺】(さいだいじ)奈良市

 

奈良市西大寺芝町にある真言律宗の本山。高野寺(たかのでら)ともいう。南都七大寺・十五大寺の一つ。本尊釈迦如来平城宮の西方に位置し,東大寺に対して西大寺と称せられた。当寺の創建は764年(天平宝字8)9月に起こった恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱の鎮定を祈願して,孝謙上皇が銅造7尺の四天王像の造立を発願したのに始まり,765年(天平神護1)に四天王像は完成し,四王院(堂)に安置され,伽藍の基が開かれた。767年(神護景雲1)2月から768年2月に及んで佐伯今毛人,大伴伯麻呂,高市麻呂などが造西大寺長官,次官,大判官などに任命され,以後薬師金堂,弥勒金堂をはじめ東西両塔や十一面堂などが建立された。

 

住所:奈良県奈良市 西大寺南町1−3
アクセス:近鉄大和西大寺駅下車後、南出口から徒歩3分。

 

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【西大寺】(さいだいじ)奈良市 ①

西大寺】(さいだいじ)奈良市

 

奈良市西大寺芝町にある真言律宗の本山。高野寺(たかのでら)ともいう。南都七大寺・十五大寺の一つ。本尊釈迦如来平城宮の西方に位置し,東大寺に対して西大寺と称せられた。当寺の創建は764年(天平宝字8)9月に起こった恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱の鎮定を祈願して,孝謙上皇が銅造7尺の四天王像の造立を発願したのに始まり,765年(天平神護1)に四天王像は完成し,四王院(堂)に安置され,伽藍の基が開かれた。767年(神護景雲1)2月から768年2月に及んで佐伯今毛人,大伴伯麻呂,高市麻呂などが造西大寺長官,次官,大判官などに任命され,以後薬師金堂,弥勒金堂をはじめ東西両塔や十一面堂などが建立された。

 

住所:奈良県奈良市 西大寺南町1−3
アクセス:近鉄大和西大寺駅下車後、南出口から徒歩3分。

 

 

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【大依羅神社】(おおよさみじんじゃ)②大阪市住吉区

【大依羅神社】(おおよさみじんじゃ)①大阪市住吉区

 

式内社名神大社)で、旧社格は府社。現在は神社本庁に属さない単立神社。
祭神は次の通りです。
主祭神
・建豊波豆羅和気王(たけとよはずらわけのきみ) - 第9代開化天皇皇子。
・底筒之男命(そこつつのおのみこと) - 住吉三神の1柱。
・中筒之男命(なかつつのおのみこと) - 住吉三神の1柱。
・上筒之男命(うわつつのおのみこと) - 住吉三神の1柱。
配祀神・合祀神(括弧内の地名は合祀前の旧地);
大巳貴命、月読命垂仁天皇五十猛命、大山咋大神(庭井)、草津大歳大神(苅田)、建速須佐男大神(我孫子)、奴能太比売大神(杉本)、奇稲田媛大神(杉本)、八柱御子大神(杉本)、素戔嗚命(杉本)、素戔嗚命(山之内)
由緒・創建等は不明ですが、依網の地域神として祀られたことに始まり、古くは依羅氏によって奉斎されたと推測されます。

 

所在地 :大阪府大阪市住吉区庭井2丁目18-16
アクセス:大阪市営地下鉄御堂筋線 我孫子駅より徒歩約15分。

 

 

 


【大依羅神社】(おおよさみじんじゃ)③大阪市住吉区

 


【大依羅神社】(おおよさみじんじゃ)②大阪市住吉区

【大依羅神社】(おおよさみじんじゃ)①大阪市住吉区

【大依羅神社】(おおよさみじんじゃ)①大阪市住吉区

 

式内社名神大社)で、旧社格は府社。現在は神社本庁に属さない単立神社。
祭神は次の通りです。
主祭神
・建豊波豆羅和気王(たけとよはずらわけのきみ) - 第9代開化天皇皇子。
・底筒之男命(そこつつのおのみこと) - 住吉三神の1柱。
・中筒之男命(なかつつのおのみこと) - 住吉三神の1柱。
・上筒之男命(うわつつのおのみこと) - 住吉三神の1柱。
配祀神・合祀神(括弧内の地名は合祀前の旧地);
大巳貴命、月読命垂仁天皇五十猛命、大山咋大神(庭井)、草津大歳大神(苅田)、建速須佐男大神(我孫子)、奴能太比売大神(杉本)、奇稲田媛大神(杉本)、八柱御子大神(杉本)、素戔嗚命(杉本)、素戔嗚命(山之内)
由緒・創建等は不明ですが、依網の地域神として祀られたことに始まり、古くは依羅氏によって奉斎されたと推測されます。

 

所在地 :大阪府大阪市住吉区庭井2丁目18-16
アクセス:大阪市営地下鉄御堂筋線 我孫子駅より徒歩約15分。


【大依羅神社】(おおよさみじんじゃ)①大阪市住吉区

【上小阪八幡神社】(かみこさかはちまんじんじゃ)東大阪市

上小八幡神社】(かみこさかはちまんじんじゃ)東大阪市

 

この神社の創建及び由緒などは不明ですが、慶長年間(1596~1615)に創建されたものと思われます。

 

住所:大阪府東大阪市上小阪4-11-18

 

 


【上小阪八幡神社】(かみこさかはちまんじんじゃ)東大阪市

【榎木大明神】( えのきだいみょうじん)東大阪市

【榎木大明神】( えのきだいみょうじん)東大阪市

 

東大阪市岸田堂に枯木になっていますが巨大なクスノキがあるところに【榎木大明神】( えのきだいみょうじん)があります。隣は「岸田堂自治会館老人いこいの家」です。
この神社の由緒等は不明です。この大明神の鳥居の横に「長楽寺跡」の解説板があり、次のように書かれています。

 

推古天皇(593~628)の創建と伝えられ、江戸時代の長楽寺の敷地は、東西約60m、南北約36m、多くの建物とともに建治3年(1227)の梵鐘がある有名なお寺でした。
 一名「岸田寺」と呼ばれていました。このあたりは、古代には、長瀬川や平野川の氾濫原が広がっていたと思われます。そこで「岸」あるいは「岸田」は地形から付いた名前で、「堂」は長楽寺のことだといわれています。
 本尊の十一面観音は、疱瘡(天然痘)を治す仏さまとして信仰を集めていました。井原西鶴の『本朝若風俗』に「河内の国岸の堂という観音の場に煎豆を埋みて(天然痘の治るのを)祈る事あり」をはじめとして多くの書物に、天然痘やはしかを治す仏として紹介されています。東成区大今里の暗越奈良街道にある文化3年(1806)の道標に「右きしのだうハンぜおん」と刻まれています。
 しかし、この有名な寺も、明治になると疱瘡よけの信仰も薄れ、檀家も少なかったため維持が困難となり、明治25年(1892)廃寺となり、建物や仏像などすべて神戸市中山寺通7丁目へ移されましたが、太平洋戦争によって消失してしまいました。
 このあと、寺は再興され、関帝廟として在中国人の信仰を集め賑わっています。境内に長楽寺と刻んで手水鉢がただ一つ遺品として置かれています。』

 

住所:大阪府東大阪市岸田堂北町8
アクセス:「JR長瀬駅」から約1.0km。又は、近鉄俊徳道駅」・「JR俊徳道駅」から約1.0km。

 

枯木になってる巨大なクスノキ

 


【榎木大明神】( えのきだいみょうじん)東大阪市