【龍王大神】( りゅうおうおおかみ)大阪市北区
大阪市北区の交通量の多い道路上に【龍王大神】( りゅうおうおおかみ)は鎮座しています。祠の下には、「龍王大神」と書かれてあり、その横には、太融寺の文字が見えます。この付近は、元は太融寺の境内で、その後、一帯が道路となり、このイチョウも伐採されようとしたのでした。ところが、幹に鋸を入れて4分の1ほど伐ったところで事故が起こり、伐採した人は、その事故がもとで死んでしましったといわれてます。伐採は中止となり、イチョウは現在に至るまで道路の真ん中に鎮座するかたちとなりました。その後、地元の人が、「龍王大神」を祀るようになったとのことです。
住所:大阪市北区西天満4丁目3
アクセス:地下鉄堺筋線「扇町駅」から約600m。
(撮影:2017/04/19)
【敷津松之宮西成旅所】(しきつまつのみやにしなりたびしょ)大阪市西成区
【敷津松之宮】(しきつまつのみや)西成旅所
【敷津松之宮】(しきつまつのみや)は、大阪府大阪市浪速区にある神社で、地元では「木津の大国さん」と呼ばれています。こちらは、西成区松2丁目にある【敷津松之宮】(しきつまつのみや)の西成旅所です。【敷津松之宮】の摂社の「大国主神社」がよく知られており、付近の町名や大国町駅の由来にもなっています。
神功皇后が三韓征伐より帰朝し、住吉大社から敷津の浜を航行していると、海岸に荒波が打ち寄せており、渚に松を3本植えて、ここより潮が満ちないよう祈願し、その松の下に素盞嗚尊を祀ったのが由緒とされています。
所在地 :大阪市西成区松2丁目3番
アクセス:南海汐見橋線西天下茶屋駅より徒歩約8分。
(撮影:2017/04/19)
【苔山龍王】(こけやまりゅうおう)大阪市西成区
南海電車・本線の高架下に【苔山龍王】(こけやまりゅうおう)鎮座しています。左側の「今宮社会福祉会館」が目印になります。
【苔山龍王】(こけやまりゅうおう)の由来について;
「織田信長時代の土佐藩の家老(氏名不詳)御夫妻がこの地で返り討ちに合い、後に豊臣・徳川の夏の陣・冬の陣の戦いに天下茶屋一帯が戦場となって多くの霊がさまよい、徳川家光の慶安三年正月この碑が建立されたののですが、その後、長い年月の間に碑が倒れてしまい、いつの間にか溝川の橋に使われていました。なぜか橋を渡った者に事故が多かったと言われています。昭和4年南海電鉄線路改修の際、その溝川が埋め立てられたとき、この碑が出てきましたので、事故の多いのは佛罰をこうむりしものとして、近隣有志が有寄り現在の所に御堂を建立供養し当時の町名をとり苔山龍王と命名され地域の守護神として祀られています。」
住所:大阪府大阪市西成区天下茶屋1丁目32
アクセス:南海本線・高野線・地下鉄堺筋線「天下茶屋駅」から約400m。
(撮影:2017/04/19)
【生根神社】(いくねじんじゃ)大阪市西成区
創建時期は不明ですが、一帯は住吉大社の神領であったことから、住吉大社摂社であった生根神社(奥の天神。現在は住吉大社から独立)から、少彦名神の分霊を勧請して玉出の産土神としたのに始まると伝えられています。又、それ以前から蛭児命を祀っていたとの伝承もあります。洪水で流された西宮神社の神体が当地に流れ着きこれを祀っていましたが、西宮神社に神体を返還した後も分霊を奉祀したのが当社の創建であるといわれています。明治初年、大坂の筑前屋敷に祀られていた筑前天満宮を合祀。
【生根神社】には「台楽(だいがく)」が伝えられています。古来から雨乞い神事に使用された、高さ約20mの柱に約70個の提灯を飾り付けた櫓のことです。
住所:大阪府大阪市西成区玉出西2-1-10
アクセス:大阪市営地下鉄四つ橋線 玉出駅 北へ約300m。又は
南海本線 岸里玉出駅 西へ約400m。
(撮影:2017/04/19)
【天下茶屋】(てんがちゃや)跡 大阪市西成区
天下茶屋は豊臣秀吉が堺や住吉への途中立ち寄り、茶の湯を楽しんたところです。その名も殿下茶屋がなまったものといわれています。この茶屋には名水のほまれ高い泉があり、秀吉はこれに「恵の水」と名づけました。その跡は芽木(めぎ)家とともに邸内に保存されていたが、戦災で焼失しました。
なお、道(紀州街道)をへだてた東側に紹鴎森天満宮がありますが、ここは千利休の師、武野紹鴎(たけのじょうおう)が隠棲したところです。
住所:大阪市西成区岸里東二丁目10
アクセス:阪堺電鉄「天神の森」下車 北西約100m
ここからすぐ近くに【天神ノ森天満宮】(てんじんのもりてんまんぐう)があります。
(撮影:2017/04/19)