kazu1000のブログ

kazu1000のブログ / 社寺仏閣巡り 社寺仏閣巡りが好きです。特に神社が好きで関西を中心に廻っています。Instagram:https://www.instagram.com/kazuyoshi1000

【暗越奈良街道】(くらがりごえならかいどう)1/2

【暗越奈良街道】(くらがりごえならかいどう)は大坂から暗峠を超えて奈良に至る街道で奈良街道、伊勢参宮街道の一つで「日本の道百選」にも選定されている。
暗峠(くらがりとうげ)は、奈良県生駒市西畑町と大阪府東大阪市東豊浦町との境にある峠で現在は国道308号、大阪府道・奈良県道が通り標高は455m。
暗峠(くらがりとうげ)という名が示すとおり暗越奈良街道の生駒山地の難所でつづら折りの少ない直線的な急勾配が続きハイキングコースとしても有名。
この付近の路面は江戸時代に郡山藩により敷設された石畳で国道とはいえ自動車で通行するのは困難なほど道幅は狭い。「暗がり」の名称の起源は樹木が鬱蒼と覆い繁り昼間も暗い山越えの道であったことに由来しているそうだが「鞍借り」、「鞍換へ」「椋ケ嶺峠」などが訛って「暗がり」となったとする異説もあり井原西鶴の『世間胸算用』にはこの峠の近くで追い剥ぎが出たという記述がある。
1694、松尾芭蕉が大坂へ向かう途中この峠を通り「菊の香に くらがり登る 節句哉」という重陽節句にちなんだ句が詠まれたとされ今西祐行作の絵本「とうげのおおかみ」の舞台にもなっている。

 

 

(撮影:2017/3/16)

松尾芭蕉句碑】
寛政11年(1799)中村来耜(らいし)が建てた碑と 明治22年(1889)六郷社有志によって建てら れた碑の2本あります。前者は暗峠に建てら れていましたが、山津波に会い所在不明とな り、大正2年に再び出現したおりに、山麓の勧 成院境内に移されました。後者は明治22 年、勧成院より山手へ100メートルの所に建 てられています。
菊の香に くらがりのぼる 節句かな
元禄7年(1694)9月9日、菊の節句の日に芭 蕉が伊賀から大阪への道すがら暗峠で読 んだ句です。

 

 

【お玉大神、お初大神、玉市大神、秋葉明神、熊鷹大神】東大阪市東豊浦町

【お玉大神、お初大神、玉市大神、秋葉明神、熊鷹大神】東大阪市東豊浦町

 

近鉄枚岡駅下車、暗峠奈良街道沿いの「松尾芭蕉句碑」「法照寺」「暗渓の滝」「成願寺」「観音寺」を通り過ぎ、急な坂の右側に朱色の鳥居が見えます。鳥居の後ろには2体の灯篭と大小様々な石仏が並んでいます。由緒等は不明です。道を挟んで向かいに、「不動明王」があります。この不動明王の案内板には「暗峠 観音寺」となっています。この場所からすこし上がると暗峠越奈良街道沿いの右側に「弘法の井戸」があります。

 

場所:大阪府東大阪市東豊浦町(暗峠奈良街道沿い)
アクセス:近鉄枚岡駅下車、徒歩約25分。

 

 

(撮影:2017/3/16)

 


 

 

 

【弘法の井戸】・【笠塔婆(かさとうば)】東大阪市東豊浦町

【弘法の井戸】・【笠塔婆(かさとうば)】東大阪市東豊浦町

 

弘法の水のあるところに弘法さんが祀られています。その横に笠をいただいた「笠塔婆(かさとうば)」があります。高さ181cm、鎌倉中期弘安7年(1284)に建てられたもので阿弥陀如来座像の下に「南無阿弥陀仏」の六字名号が刻まれています。笠は、後に乗せられたもののようです。
井戸の水については、水質が悪化しているため現在は残念ながら飲むことができません。

 

場所:大阪府東大阪市東豊浦町(暗峠奈良街道沿い)
アクセス:近鉄枚岡駅下車、徒歩約30分。

 

 

(撮影:2017/3/16)

「弘法の水と笠塔婆(かさとうば)」

 

谷あいから湧き出すこの澄水は、通称「弘法の水」と呼ばれ、毎朝一升瓶や水筒を持った人達が飲料水として汲みにくる姿が見られます。

 

生駒山地にそった標高400m前後の谷あいには、マグネシウムやカルシウム分の多い硬水脈が連なっていて、これが暗越奈良街道の難所、暗峠を前にしたこの場所に湧き出しているものです。

 

古代以来、ひんぱんに利用されてきたこの山道を通る人々の潤いの場所となっていたことでしょう。

 

かたわらに、何体かの石仏がある中に、右手奥に一きわ高い石柱があり、これはもと笠をのせた笠塔婆(181cm)で、鎌倉時代中期の弘安7年(1284年)に建てられたもので、阿弥陀如来坐像の下に「南無阿弥陀仏」の六字名号を刻んでいます。

 

当時、旅人の安全を祈って建立されたものか、あるいは南東かたのさんちゅうに存在した神感寺との関係があるものかもしれません。

 

昭和53年6月23日、市の指定文化財として指定。
東大阪市

 

 

 

【安高大神】(やすたかだいじん)東大阪市東豊浦町

【安高大神】(やすたかだいじん)東大阪市東豊浦町

 

暗峠から大阪側へ徒歩約10分程下った右側に「安高大神」の看板があります。(暗峠奈良街道沿い)看板に従って草深い畑道を抜けると山道が山の頂へつながっています。参道があり、その先に石の階段があります。その階段を登り切ったところが、「安高大神」です。この場所は天気が良い日でも薄暗いところです。お供え物も新しく境内は綺麗に掃除されています。

 

場所:大阪府東大阪市東豊浦町
(注意)車で通った場合は、この看板を見つけることはできないと思います。

 

(撮影:2017/3/16)


【安高大神】(やすたかだいじん)東大阪市東豊浦町

「枚岡神社神津嶽本宮」(かみつだけほんぐう)東大阪市出雲井町

枚岡神社神津嶽本宮」(かみつだけほんぐう)東大阪市出雲井町

 

河内国一の宮枚岡神社」は奈良から悪路で名高い国道308号線の暗峠を越えた生駒山西麓に鎮座。創祀は、皇紀前まで遡り、神武天皇が大和の地で即位される3年前、神武天皇の勅命を奉じて、霊地神津嶽(かみつだけ)に一大磐境を設け祀られたのが枚岡神社の創祀とされています。 ご神域は2万1千坪に及び、生駒山にあっては奈良側の往馬大社とともに貴重な自然が保存されており鎮守の森を守る活動も盛んです。主神の「天児屋根命」は天岩戸開き時、祝詩を詠んで天照大神を誘いだした神です。 西暦767年~770年春日大社分祀されたため、ここの神社は「元春日」と呼ばれ その後、春日大社から東国の神々「タケミカズチノ命」「フツヌシノ命」を勧請しました。ご神体山の元宮へは府民の森「かみつだけコース」として整備されているハイキングコースにそって展望台を目指して登ります。スタート地点にある梅林は明治の神仏分離政策で廃寺となった多数の神宮寺院の跡地に造られたのが始まりだといわれてます。また、枚岡梅林は梅の名所として有名で東大阪市の名勝に指定されています。梅林から徒歩2~30分、途中の展望台から かみつだけコースに進み分岐の右手、しめ縄の掛けられた鳥居から急な石段を100メートル程歩くと 御神体山神津嶽で明るく開けた台地の上に枚岡神社創祀の地・元宮が建てられていいます。昭和56年に石碑が建てられ、平成5年に石の社殿が築かれました。お隣の石切神社と同じように神が降臨する山として古代信仰の名残があり、神津嶽の周りには、古代祭祀跡と思える磐座が存在しています。

 

住所:大阪府東大阪市出雲井町7番16号

 

 

(撮影:2017/3/16)


「枚岡神社神津嶽本宮」(かみつだけほんぐう)東大阪市出雲井町

 

 

 


 

 

 

枚岡神社 摂社【若宮社】(わかみやしゃ)

枚岡神社 摂社【若宮社】(わかみやしゃ)

 

「天押雲根命」(あめのおしくもねのみこと)がお祀りされています。 天児屋根命と比売御神の間に生まれた御子神様です。この神様は、天児屋根命の命によって、天の二上に登り、皇御孫尊(すめみまのみこと)の御膳水(みけつみず)を取ってきたと伝えられております。社殿は、明治20年に改築され現在にいたっております。

 

水にかかわる神様であるためか、左奥に「出雲井」(いずもい)と称する井戸があり、古くより神聖な水が湧き続けています。枚岡神社の鎮座地は、出雲井町でありこの井戸の名称から、そう呼ばれるようになったのではないかと考えられます

 

住所:大阪府東大阪市出雲井町7−16
アクセス:近鉄奈良線枚岡駅下車すぐ

 

(撮影:2017/3/16)


枚岡神社 末社【天神地祇社】(てんしんちぎしゃ)

枚岡神社 末社天神地祇社】(てんしんちぎしゃ)

 

天津神国津神がお祀りされています。

 

この社には、もと境内にあった19末社の椿本社(猿田彦神)、青賢木社(天磐立神)、太力辛雄社(天手力雄命)、勝手社(受鬘神)、地主神(枚岡社地の地主神)、笠社(風神)、住吉社(住吉明神)、飛来天神社(天之御中主命)、岩本社(岩本明神)、佐気奈辺社、一言主社(一言主神)、坂本社(山王権現)、素盞鳴命社(素盞鳴命)、八王子社(王子八神)、戸隠社(天八意思兼命)、大山彦社、門守社(櫛石窓神・豊石窓神)、角振社(角振神)、官者殿社(素盞鳴命の荒霊)と合せて、氏子近郡の村の氏神としてお祀りされていた、出雲井村の八坂神社、豊浦村の春日神社・東山神社、額田村の額田神社・若宮八幡宮社・山神社・蛭児神社、五条村の八幡宮社、客坊村の一杵島姫神社、四条村の春日神社・素盞鳴命神社、松原村の春日神社八幡宮社等の神々が、明治5年に合祀されお祀りされています。

 

住所:大阪府東大阪市出雲井町7−16
アクセス:近鉄奈良線枚岡駅下車すぐ

 

 

(撮影:2017/3/16)